アウシュヴィッツの聖者 コルベ神父

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               アンネのバラ

 

このブログは、2020年11月20日に発表したものです。

「人物紹介」
 コルベ神父は日本の長崎にも滞在したこともある人です。ポーランド生まれのカトリックの司祭で、第2次世界大戦中、母国ポーランドのあるヨーロッパで、その当時、勢力を伸ばしつつあったドイツ・ナチスの「非人道的行為」に反抗し、人道的立場を貫くために、アウシュヴィッツユダヤ人捕虜収容所に投獄された人物です。


「収容所の中での出来事」

  さて、収容所には、「鉄の規律・掟」がありました。

 即ち、「もし、同じ獄舎の囚人が脱獄することがあるなら、囚人を10人選び出し、その10人を餓死刑に処する」というものでした。

 
  ある朝、看守が見回ったところ、一人の囚人が脱獄していることが分かりました。

  直ぐに、収容所の所長は、同じ獄舎の囚人を集め、「見せしめ」のために10人を選び出し、「餓死刑」に処することを決めました。

 選び出された10人は、顔を青ざめさせ、中には「あぁ、私が死ねば、残された妻や幼い子供たちはどうなるのだろうか。あぁ、死にたくない」と泣き崩れる男もいました。

 とその時突然、他の囚人たちの集団の後ろの方から「私がその人の代わりに、刑をうけましょう」と叫ぶ人物がいました。この人こそがマキシミリアン・コルベ神父です。

 

「伝えたいこと」
 私は、コルベ神父の考えると、必ず「挑戦」をうけます。挑戦を受けるとは、「もし、私かコルベ神父の立場に居るならどのようにするか」ということです。

 私は、コルベ神父のことを真底尊敬しています。

 しかし、彼が「他人の命を救うために自分の命を捨てた」から尊敬するわけではありません。

 なぜなら、「友のために命を投げだす」というのは、聖書の教えであり、その教えの基、殉教していったクリスチャンは星の数ほど居ます。

 崇高な行為ですが、それだけでは、「石のような冷たい心」しか持たない私を感動させるに至りません。


 では、どこに感銘をうけるのでしょうか。2つあります。
 一つ目は、「アウシュヴィッツという捕虜収容所の恐ろしい環境」です。極限状態の飢えと寒さ、寝床と言えば、板に藁を引いた一人用ベッドに何人も寝せる。人が人間として扱われず、家畜のように生活させられる場所です。
 諺に「貧すれば鈍する」というものがあります。人間は死と背中合わせの極限状態に置かれると、「自分のことしか考えなくなるもの」です。

 そんな、環境にあっても、「クリスチャンとして、成すべきことがまだできる」というコルベ神父の信念は、私には考えられないことです。

 2つ目は、「餓死刑」という刑の恐ろしさにあります。人間は食べずにいても、ある程度「飢え」は我慢できる動物です。しかし、「渇き」については、人間は我慢できないのです。

 「人間は水が与えられないと血管が枯れてくるそうです。血管が枯れ、体が火照る痛みは、耐えられずに、死ぬ前に、人間を半狂乱にしてしまう」と言われています。

 現に、この刑がアウシュヴィッツで執行されると、「受刑者の居る地下牢からは、野獣のような、苦しみの叫びが、夜中絶えなかった。」と記録に残っています。

 このような中にあっても、コルベ神父は、他の受刑者を励まし、死んでいく者のために、「とりなしの祈り」を施しました。

 最後は、生き残ったのはコルベ神父ただ独りになったところで、収容所の所長も根負けして、「早く死なせてやれ」ということで「死の注射」を受け、コルベ神父は亡くなりました。

 それでも、「彼の顔は、空のある一点を見つめ、光り輝いていた。」といことが、後に、ナチスの死体処理班の者の証言で明らかになっています。

  

「学んでほしいこと」

 皆さんはコルベ神父のお話を知って、「ドイツ人・ナチスの人たちはなんと残酷なのか」と思うかもしれません。

 しかし、ここで学んで欲しいことがあります。

それは、ドイツ・ナチスの兵士たちも「私達日本人と何ら変わらない普通の人たち」なのです。

 アウシュヴィッツの兵士たちは、戦争中であっても、日曜日に訪問して来る家族には、「良き夫であり、優しい父親」でした。

 また、毎週「クラシックの音楽会」を将校たちは開催していたそうです。

 私達と変わらない普通の人が、ただ、戦争と言う名のもとに理性をかなぐり捨て、悪魔のような存在になったのだということを学んで欲しいのです。

 しかし、一方で、マキシミリアン・コルベ神父のように、神に似た崇高な人間にも、私達は成れるのです。

 では、同じ人間なのに、どうして両者の間に違いが出たのでしょうか。

 それは、「心の内面の問題です。良心の持ち方です。」
 では、私たちはどうすればよいのでしょうか?

 

 お願い

 毎日20秒で良いです。目をつぶって自分の心の中をのぞき込み、「自分の生き方はこれで正しいのか。」と自答してください。

 そうするなら、この毎日の黙想は、日々、皆さんを精神的に強め、将来、皆さんの宝となるでしょう。

 

 

アイデンティティ NO.2  若い教師の皆様へ

      希望の約束の象徴 「虹」

このブログは、2022年9月15日に発表したものです。

 

私がどのように、在日韓国・朝鮮の生徒たち接して来たかを、ご紹介することで、若い教師の皆さんに役立てばっています。 

 日本はご承知のように、大和民族・アイヌ民族・沖縄民族・中国民族・韓国・朝鮮民族等が国民として存在する多民族国家です。ただ、大和民族以外の少数民族の方々に、私達、大和民族と同じ権利が与えられているとは限らないのが、日本の現状です。

 在日韓国・朝鮮民族の方々は全国に居られ、関西では、特に、他の地域よりも多く居られます。

 担任をしていれば、必ずクラスで在日韓国・朝鮮民族の生徒たちに出会います。

 この生徒たちに、アイデンティティ」について相談に乗ることや、サポートすることは、担任の大切な仕事です。

 在日韓国・朝鮮民族アイデンティティは、2つの両極の間の何処かに位置することになると私は考えています。

 一つ目の極は、多民族国家、日本の一員として生きる。」というものです。

 しかし現在、日本は、少数民族の方々にとって、暮らしやすいとは絶対に言えない社会です。心ある大和民族の人協力して、「日本をさらに良い社会にしよう。」という生き方です。

 もう一方の極は、「自分たちのルーツである朝鮮半島が現在不幸な状態にあります。日本に居住し、半島の平和統一に重点を置きながら生きる。」というものです。

 私はいつも、在日の少数民族からの生徒たちに「私は大和民族の人間なので、日本人として一緒に理想の国家を築いて行ってほしい。」私の我が侭な願い伝えますしかし、それ以上の介入は厳禁です。

 なぜなら、生徒がどのようなアイデンティティを持つかは、家族の伝統・意見まえて、それらを熟慮して、本人自身が決定しなければならない事柄だからです。

 本人が自分の生き方を明かしてくれたり、悩みの相談を受けたりしたら、その時は、担任の出番です。励まし、サポートしてあげれば良いのです。

 若い先生方参考になればと思います。

 

 

 

 

 

コロナ禍中に分かった、「日本社会で大物政治家が育たない理由」

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       ザルツブルグ  オーストリア   1978年

    このブログは、2021年6月25日に発表したものです。

 余命半年を宣告された、アメリカ・カーネギーメロン大学教授ランディパウシェ​は、最後の授業の中で、のように述べています。

「経験というものは、得たいと思うものが得られなかった時(失敗した時)にのみ得られるものだと。

 先日、国会で、コロナ禍の中、オリンピック・パラリンピック開催を望む菅総理に、野党議員は、「オリンピック・パラリンピック開催中止になるのは、いったいどのような事態になった時なのか」と、開催の責任を菅総理に取らせる為の言質を求めました。その時、菅総理は、質疑が嚙み合わない同じ応答を、何回も繰り返すということが起こりました。

 ここに、日本の政治家が成長できない大きな理由があると思われます。日本の社会は、すぐに責任を追及し過ぎなのです。

 VR(バーチャルリアリティー)の権威であったランディー教授が言うように、経験(成功)は、ある程度、失敗をしなければ、経験・成功は手に入らないものなのです。

 私利私欲・力のある有力組織に忖度した政治を、政府が行うのであれば、即刻責任を問うのは仕方ありません。

 しかし、コロナ禍は、未曾有の出来事です。現在は、「平時」のときではなく、「有事」の時です。

 ALL JAPAN(オールジャパン)で対応しなければならない時に、「総理大臣の責任問う為の布石を打つ野党の態度」が政治をダメにしているのです。

 オリンピック・パラリンピック開催に対して、異議を唱える野党の姿勢も同様です。

 現在でも「開催中止」を訴える人々の考えが、私には理解できません。

 私達国民は、コロナ禍初年度、全ての行事・イベントを中止しましたが、そこからは、失望以外何も得られるものが無かったではありませんか。

 さらに、私が理解できないのは、未だに、オリンピック・パラリンピック開催を疑問視して、国民世論を煽るマスコミです。

 特に酷いのは、全国ネットのニュース番組です。

 私達は、専門家の言う通り、緊急事態宣言を数回行い、経済を犠牲にして来ましたが、コロナ禍を経験した2年間で学んだことは、「どれだけ自粛しても、インフルエンザの流行と同じように、コロナ禍は無くなることはない」ということです。

 イギリスをはじめ、ロックダウン等の厳しい政策をとっても、ワクチン接種がどれだけ進んでも、未だコロナ禍から解放されない西欧諸国を見れば、このことは歴然とした事実です。

 これからの世界は、コロナウィルスと共に生活していかねばならない時代なのです。

 ワクチン接種が進んでも、コロナウィルスが無くなるわけではありません。

 オリンピック・パラリンピックを開催しようと、中止にしようと、遅かれ早かれ、コロナ禍第5波は、日本に襲来します。

 それならば、オリンピック・パラリンピックを開催し、アスリートたちから、「勇気と生きる力」をもらい、大会を日常生活を取り戻していく手段にする方が、良いのではないでしょうか。

 中止からは何も生まれてきません。

 困難を「オールジャパン」で乗り越えてこそ、通常の生活が近付くのです。

 私たちは、日常生活を取り戻すために、一つずつ経験を勝ち取って行くべきなのです。     しかし、多くのマスコミ報道は、「オリンピック・パラリンピック開催」

に否定的です。

なぜなのでしょうか。

 マスコミは、外国からの観客誘致が出来なくなり、

「オリンピック・パラリンピック開催に旨味が無くなり、国民の税金で、開催キャンセル料を払う方が、損害が少なくて済む」と考える金儲け上手なスポンサーに、広告料目当てに、「開催中止」に忖度した報道をしているのではありませんか?

 マスコミは、選挙の為に世論ばかり気にする政府をダメにしている大きな要因となっているのです。

 ほとんどのマスコミがスポンサー目当てに報道している中、朝日放送の報道番組「正義のミカタ」だけは、「選挙の時に暗躍する如何なる圧力団体」・「大企業スポンサー」にも屈せず、忖度しないで、中立報道を続ける優良番組です。

ただ残念なのは、この番組が全国ネットで放送されていないことです。

 もし、「正義のミカタ」が、関東で放映されるなら、菅総理とって、参考にできる数少ない優良番組となるでしょうに。残念でなりません。

 それでは、菅総理はこれからどの様に行動するべきなのでしょうか。

 菅総理が今のままの態度を続けるのであれば、「コロナ禍が収束した途端、世襲議員の誰かに、総理大臣の座を、奪われてしまでしょう。」

 菅総理にコロナ禍という難しい局面だけ対処させておいて、今は、後ろで隠れている世襲議員の誰かに、コロナ禍が収束すれば、「トンビに油揚げ」のごとくに、自由民主党総裁の座を奪われるでしょう。               

菅総理に、大型政治家になってもらうには、「コロナ禍は、自分を育てる試練」として、プラス思考で受け入れ、コロナ禍を乗り越える為に、「人命優先で、人命の為なら、超法規的措置も辞さない覚悟で対処して行く姿勢」が必要です。

 オリンピック・パラリンピックを中止しても、コロナ禍第5波は、オリンピック・パラリンピックを開催した時よりも、少し遅れるだけで、必ず日本に襲来します。

 どちらにしても、総理大臣としての責任を問われるのであれば、他の地方自治体の長のように、責任逃れの布石を打つのに終始するのではなく、強いリーダーシップを示して、コロナ禍に立ち向かってください。

 私達国民は、ばかではありません。

たとえ、貴方が何か失敗しても、国民の命のために対処していたなら、国民は、貴方を評価します。

 総理は、コロナ感染者の数に、これからは一喜一憂すべきではありません。

 総理が注目すべきは、「重傷者の数」と、これから医師会が用意しなければならない「重傷者用病床の数」です。

 総理がまず率先して行うことは、オリンピック・パラリンピック開催中、もしも、集団感染等が原因で、重傷者の数が増え、緊急事態が勃発した場合、「全国区で対処できる方策を用意しておく」という事です。

 現在、重症患者病床は、4200床用意されています。そのうち使われているのは、1200床あまりです。 余裕はありますが、日本医師会に強権を発動し、「まさかの時」に備える必要があります。

 それでも、オリンピック・パラリンピック開催地、東京都だけで、対応するのが困難な場合は、関東圏だけでなく、東海・北陸・東北の東京都から近い県に、重症患者を搬送する用意・訓練が必要です。

 場合によっては、自衛隊の救急ヘリを使って、大阪へ重症患者を運ぶことも想定するべきです。

 「人間」は、肉体のみで生きているわけではありません。

 内面の精神の持ち方一つで、感嘆に死んでしまうのが「人間」です。

 「緊急事態宣言」での自粛の為に、経済的にどん底で喘ぐ弱い立場の人たちから、自殺者をこれ以上出さないことが、菅総理の「第一使命」です。

 オリンピック・パラリンピック開催は今苦しみに喘ぐ国民に、必ず、勇気と生きる希望を与えてくれます。 そのことは、水泳選手、池江里佳子選手の復活劇で、私達は経験済ではありませんか。

 中止する所に、生まれるものは何もありません。 オリンピック・パラリンピックを中止して、開催できないようでは、私達が日常生活を取り戻すなど、到底できません。

 私達国民は、日常生活を取り戻す為、いくつもの「障壁」を越えなければなりません。 オリンピック・パラリンピック開催は、その一つの「障壁」です。

 私達国民が「障壁」を一つずつ越えて行かなければ、日常生活を取り戻すことはできません。先に進めないのです。

 菅総理、貴方には、日本国民を長く幸せに導く「大政治家」になっていただきたいのです。

その道は、「オリンピック・パラリンピック開催の成功」に在ります。

 最近、天皇陛下のご意見が捻じ曲げて報道されましたが、天皇陛下の願いは、「オリンピック・パラリンピック開催の中止ではなく、成功です。」

 マスコミの他にも、天皇陛下のお言葉の一側面だけを紹介し、オリンピック・パラリンピック開催の中止の為、世論を煽ろうとする者がいるようです。

 菅総理、貴方が、自由民主党総裁として、内閣総理大臣を長く続ける道は、オリンピック・パラリンピック開催を成功させることです。

 どうか、強い信念と決意を持って、オリンピック・パラリンピック開催を成功へと導いてください。多くの国民はその事を願っています。

 

 

 

 

校長も、政府も、リーダーとしての質は同じです。

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       高野川 と 加茂川 から 鴨 川 へ   京 都

このブログは2021年1月21日に発表したものです。

 私が現役教師時代に生徒から、「先生は、えこひいきしますか。」と、よく質問されたものです。

 いつも、私は、次のように答えていました。

 人間ですから、好き・嫌いはあります。好きな生徒が、私に何か頼んだ時には、120パーセント頼まれた事をしてあげたくなるのが人情です。逆に嫌いな生徒から頼まれれば、好きな人にした同じ事を、嫌いな人にするには、何倍ものエネルギーが必要になります。

 私は、教師になって以来、今まで、好きな生徒にしてあげた事を、嫌いな生徒にも、エネルギーを何倍もかけてするように心がけて来たつもりです。また、生徒の成長に必要と思った事は、たとえ、好きな生徒に嫌われても、躊躇わず、与えてきました。」

 さて、若い教師の中にはクラス人数が40人のクラスを担任として、受け持ちになれば、「40人均等に、自分の力分け与えることが、平等だ考える教師が居ますがこれは、大きな誤りです

 今、受け持ちの生徒の中障がいがあり、車椅子利用して学校生活をしている生徒郎君(仮名)が居たします。

 そのクラスで研修旅行に行くことになりました。

 もし、教師が、太郎君に無関心で、40人全員に同じエネルギーしかかけないのであれば、太郎君研修旅行途中リタイアするばかりか命も危うくなります

 もし、担任がね40人一人ずつに愛情関心を持ち、観察しているならば、太郎君他の生徒と同じように研修旅行経験できるためには、担任は、想像力を働かせて健常者である太朗君の友達助け手配し、自分のエネルギーのほとんどを、太朗君に集中させねばなりません。

 それで初めて太郎君は、他のクラスメイト同じ研修ができるのです。

 私の持てる力を100とすれば、100の力を40人のクラス生徒全員に、均等に使うことが、「平等」と、私は考えていません

 私の「平等」とは太朗君のような生徒クラスに居ても、みんなと同じように何でも出来て、また、卒業できることが、真の「平等」だ考えています。

 そのためクラス生徒の中には、1年間「私に何もしてもらったことがない」と考える生徒も出てきます

 そのような生徒たちは優秀な生徒なのです。優秀だから自分自身で成長できるのです。

 私の助けなど、必要なかったのです。

 従って私にとっては、残念なことですが、優秀な生徒は私のもとには、帰ってきません

 それは、丁度雛鳥親鳥のもとを離れ巣立ちする」のと似ているような気がします。

ひな鳥は、巣立ちをすれば親鳥のもと訪れることはありません

親鳥もまたひな鳥を育てることに懸命で、巣立った優秀な子たちのこと思い馳せることはありません

 私の教師としての愛情は、親鳥雛鳥対する愛情似ているのかもしれません。

 私は、40年以上の教師生活の中で、指導者としての、良い校長も、悪い校長も、観てきました

 悪い校長典型「責任自分に来ないように立ち回るため、生徒のためには、何もしない校長」のことです。

 良い校長生徒の安全第一に考え、母校を持って、生徒の成長を優先する校長です。良い校長は、教職員の意見特に、自分の意見とは、反対の者の意見貸し十分賛成・反対意見を戦わせた少数意見であったとしても、自分で責任をとる覚悟を持ってリーダーとして、自分しいと信じた道進む校長のことです。

悪い校長は、多数意見を隠れ蓑にして、責任逃れをして、責任多数の教師たち押しつけます。

 政府のリーダー校長同じです。

 悪いリーダーは、多数意見に従って責任は、自分に来ないようにします。

これでは、国は滅びてしまいます

 良いリーダー第一条件は、自分の国さえよければ良いという愛国心ではなく郷土愛・祖国愛持って命の尊重中心政策を進める人のことです。

 良いリーダーは、校長が全教職員の意見を戦わせ決断したように、意見が出尽くしたところで多数意見従うのではなく自分の信じる道を、責任を取る覚悟で進む人です。

また、議員たちには批判・反対だけさせるのではなく建設的意見を述べさせる人のことです。

国難責任を持って乗り越えようとする人のことです。

 リーダーが選択する時には、大切なことがあります。

それは、道を選択する時動機」です

 良いリーダーは、必ず国民の幸せ安全動機置き、政策を決定して行きます。

 悪いリーダーは、まず、「忖度」から政策を選ぼうとします。大企業圧力団体の利優先して、国益を考えようとします。先に「答え有り」決定しようとします。

しかも、その忖度からの政策に多数決の暴挙でもって、事をすすめようとします好ましくない結果には、責任逃れしかしません

 もしリーダーが自分の信念持って未曾有の国難あたるならば政策があまり有効でなかったとしてもの政策国民の安全と命の尊重という動機から出ていさえすれば国民は、政策批判しかしない野党言うことより政府を支持します。

その政策失敗に見えても動機国民の安全命の尊重からいさえするならば、失敗経験繋がり、その失敗は貴重な将来の道しるべとなるのです。

 生徒賢いです。教師や校長をよく観ています。同様に、国民も賢いということが、どうして、議員や役人には、分からないのでしょうか

政府の出した政策忖度を動機とした多数意見頼りの政策か否かは国民はすぐに判断します。

 国難にあって、リーダーとして先頭に立つ皆様失敗を恐れずに信念を貫き国民守ってくださることを信じます

 

 

大韓航空機事件 「九死に一生を得る」

銃撃直前の写真

1978年「ロシア(ソビエト連邦)の戦闘機に大韓航空撃墜されました」

私はこの大韓航空機に搭乗しており、「九死に一生」を得ました。

この写真は、私が撮影し、某新聞社の「報道写真年間グランプリ」を受賞しました。

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   この記事は、2020年9月10日に発表したものです。

概 略
 皆さんは大韓航空機事件」と言われて、どの事件を思い出すでしょうか。一番日本人にとって衝撃的なものは、「樺太沖で、その当時ソビエト連邦と呼ばれていたロシア戦闘機によって大韓航空機が銃撃を受け、撃墜された事件」ではないでしょうか。この時には悲しい事ですが、すべての乗員・乗客が死亡するというものでした。しかし、それよりも前、今から40年以上も前に、同じような事件が、ソ連フィンランドの国境線」のところで発生しました。「私はその大韓航空機に乗り、九死に一生を得た人間です。この出来事から、社会の人々、特に生徒のみなさんと教師の方々に「少しでも勇気を与えられるお話」ができればと願っています。


事件前
 私は学生時代、「卒論」の研究のためイスラエルに行くことになりました。しかし、イスラエルという国をよくご存知の方でしたら理解していただけると思います。イスラエルは、今も、その当時も「血生臭い事件が絶えない国です。

私が滞在した時も、テロによってバスが時限爆弾によって爆破されたり、学校が占拠されたり、血生臭い事件は日常茶飯事でした。そのため、私にはイスラエル暮らす事は、死と背中合わせに暮らすことのように思えました。

 そのため、イスラエルで暮らすうちに、私にはある一つの覚悟ができていました。「私は危険を承知でこの地に来たはずである。もし命を落とすことがあっても、それは自業自得だ。しかし同じ死ぬなら、価値ある死に方をしたい。」
 
価値ある死に方とは、

もし、自分が死ぬ時に幼い子供が巻き込まれているなら、その命を救いたい。死ぬ際に見苦しいまねだけはしたくない。死に際だけは潔くありたい。という意味です。

 このような覚悟を持ってイスラエルで暮らしていましたので、私の毎日は充実したものとなりました。なぜなら、「明日、命を落とすかもしれないという気持ちが、今日という日を精一杯生きよう」という気持ちにさせてくれるからです。しかし、神様は「この覚悟が本物かどうか試してやろう」私に試練を用意されていたようです。

 しかも、私の予期していイスラエルの地ではなく、思いもよらないところで「試練」は起きました。

 

事件発生

 1978年4月20日、無事イスラエルでの研究を終え、ヨーロッパを独りで放浪した後、私はパリから大韓航空に乗って、帰国の途に着きました

飛行機に乗って数時間が過ぎました。私は左翼席に座っていたのですが、右翼席地平線にまさに身を沈めようとする太陽の美しさにつられ、カメラを持って右翼席に移動しました。

 とその時、ミサイルを装備した戦闘機私たちの乗っている大韓航空に平行して飛んでいるのが分かりました。

 私は咄嗟にカメラのシャッターを押しました

 戦闘機はなおも大韓航空機に接近してきました。誰の目でても、接近が「異常」であると理解された時、私は怖くなって自分の席に戻りました

 数分後、突然戦闘機は機体を立てて、後ろに下がって行きました。私は不安な気持ちを紛らわそうと新聞を読んでいたのですが、

 「その時です。」すぐ後ろで青白い光が走ったかと思うと、「ぱーん」とい、鋭くて乾いた音がしました。 

 すると、私が持っていた新聞は「あっ」という間に燃えてなくなり

 私の頬を生ぬるい風がすり抜けたかと思うと、目の前を私の鮮血が飛んでいくのがわかりました。

 私はやられたと思い、傷ついた頬を手で押さえながら後ろに振り替えると、あたり一面「血」の海でした。

 すぐに硝煙の臭いが立ち込め、急降下が始まりました。

 しかし、乗客である私たちには、「真っ暗な中、下へ落ちて行く機体左翼を見ると、翼は爆発で先が無くなり炎上しています。」

 私たち乗客にはそれは、「墜落」でしかありませんでした。

機内の中

 「あぁ、もうだめだ」という思いが脳裏をかすめました。 

 私は落ち着くために、大きな声で讃美歌を歌いました。たとえ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。主が私とともにおられるからです。聖書詩篇23編の歌詞です。

 私は何度もこの歌を歌うことによって、冷静さを取り戻すことができました。

 大韓航空機は3000メートル上空をなおも飛びつづけました。

 その間に起こったことは、今でも私の脳裏から離れません。あんちゃん、大丈夫か。」自分の両足の怪我も忘れて、出血多量で危篤状態の兄に叫び続ける日本人の方「白いワイシャツがあっという間に血で真っ赤になった友を抱えながら嗚咽する韓国人の方、しかし、その友から、もはや何の返事もありませんでした。

 私はハングルを全く知りませんでした。しかし、友人を抱きながら腹の底から絞り出す「アイゴー」という鳴き声の言葉は、私の脳裏から離れることは一生ありません。


奇跡
 大韓航空犠牲者を出しながらも旧ソ連領内に着陸しました。いくつかの偶然が重なって着陸に成功したのですが、それは奇跡しかありませんでした。

 奇跡の幾つかを紹介します。着陸後、軟禁され、取り調べを受けていました。その時、たまたま、私は、大韓航空機の機長と話しをする機会がありました。

 以下は、機長からのお話です。「銃撃後も飛び続けていたのは、燃料を使い切るためでもあったが、至る所に「高圧電線」があったので、着陸が困難であった。

 そこで、凍った湖の上に着陸することを決断した。しかし、4月になっていたので、氷の厚さがはたして、100トンの機体の重さ耐えられるのか、上空から判断できるはずもなく一か八かのギャンブルでしかなかった。」さらに、機長のお話は続きます

 しかし、偶然にも、氷の厚さは百トンの機体の重たさに耐えるだけの厚さがありました。
 さらに、機長は続けます「着陸する時に、車輪が中途半端にしか出なかったことも、我々には幸運であった。
 もし、正常に車輪が出ていれば氷の上なので、停止できずに、どこかにぶつかり炎上していたでしょう。ぜんぜん車輪が出なければ翼のエンジンが氷との摩擦で機体は爆発炎上していたかもしれない。

 車輪が中途半端にしか出なかったこと胴体着陸がより楽にできた

 しかし、何よりも奇跡だと思うのは、戦闘機に銃撃を受けた時、私たちは3500フィート・1万3千メートル上空にいたが、爆発で機体に拳大の穴があいた。普通、このような高度で飛行している際にそのような穴が開けば機内と外との気圧の差で空中分解しているはずだが、なぜ空中分解しなかったのか、私には分からない。」

 この言葉だけでも、いかに私たちが助かったのが奇跡であるか理解していただけると思います。
 

メッセージ

 さて、皆さんに今日伝えたいメッセージは、「人間にとって最も大切なことは、死という極限状態に追い込まれても、人間としての尊厳を失わないこと」です人間は「死という極限状態に追い込まれる動物化して自分のことしか考えなくなるものです。

 皆さんが私と同じ経験をすることはないかもとれません。しかし、もうすでに国際舞台で働いている人も、これから働こうという若者たちも、

 「戦争・自然災害・感染病」など死という極限状態に追い込まれることは十分にあり得ることです。そんな時こそ、あなたの真の価値が問われる時なのです。逆境に置かれこそ、あなたの真価を発揮するときなのです。

 そして、教育の目標「このような事を成し遂げる力の人物育成」にあるべきだと私は思うのです。

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原子力発電には断固反対いたします。

    サ ン セ ッ ト   日  没     岡  山

 

 この論文は、2024年2月に再度発表したものです。

 

地球温暖化に対処する為、また、ロシアのウクライナ侵攻により、エネルギー代金高騰の為原子力エネルギー見直されようとしています。しかし、敢て再度、原発に対して反対し、警笛を鳴らします。

 日本政府は、エネルギー政策について、「脱炭素エネルギーを目指して、2050年までに、温室効果ガス、0%を目指す。」と公言しています。

 確かに、地球温暖化に対して、2050年まで、「地球温暖化が生み出す、あらゆる弊害対処しなければならない」のは事実です。

 しかし、京都大学の「地殻変動額学」専門家は、この先30年間は、地球温暖化に進む可能性高いが、百年、二百年単位で地球れば、氷河期に向かって、ゆっくりと寒冷化に向かう可能性が高い。」公言しています。

 寒冷化に向かう大きな要因は、「火山活動」とのことです。火山が大爆発すると、空中に火山灰舞い上げ、それによって、太陽光線が地球上に届く量甚だしく減少するため作物が取れなくなるほど、寒冷化が進むのです。

 日本火山が多いです。そんな国で、炭素エネルギー0%にすることは、危険な選択肢と私は考えます。

 2050年までに、温室効果ガスを出す炭素エネルギーを「0」にする為、太陽、地熱、風力、水などの、他のグリーンエネルギーだけでは、現在の電力を賄うことができないのは事実です

 現在、日本政府では、それを口実に、原発正当化する」という、目論見が浮上しております。

 私は、「原発」には断固反対です。日本国民は、原発事故に見舞われた「福島の悲劇」忘れてはいけないのです。

 私達は、この悲しみを歴史に刻み、歴史から学ぶという姿勢を、絶対に失ってはいけないのです。

 2011年福島の原子力発電所で、「メルトダウン」という事故が起きました。地上で「メルトダウン」が起きた場合、「広島・長崎の原爆の約400倍」の放射脳発生します。放射能汚染は億年単位続きます。

 広島、長崎とは違って、放射能除去装置が発明されない限り「半永久的に事故現場周辺では、生活する事すら出来ない」のが現状です

 日本の様に、地震や津波起きやすい国で、どうして「原発は安全だ」言い切れるのでしょうか

 原発の専門家は、東日本大震災の前は、「原発安全宣言」を出し、事故が起きれば、「想定外の事が起きた」弁解し、現在、また、「地震の備えは出来た」「安全宣言」を出しています。自然界を見切って、支配している口ぶりです

 この傲慢さ「東日本大震災」を招いた事を気付かず、専門家たちは懲りずにいます。

 自然の力は偉大であり、脅威です。人間の知力で、推し量れる範囲には限界があるはずです

原子力発電所の事故は起こりうるのです。専門家が言うような、「原発の完全安全」など、あり得ないのです。

 さらに、原発は、平和憲法全方位外交のもと、どの国とも仲良くして行くという外交政策があったからこそ始めることが出来ました

 しかし、現在中国・韓国・ロシア・北朝鮮、それぞれに、「争いの原因」日本は持っています

 特に、土地所有が原因の争いは、バランス崩れた時に必ず戦争になる」というのは、歴史が証明しているところです。

 暴走するロシアの「南下政策」、習近平氏が指導する中国共産党の「清朝領土再興政策」は、差し迫った「日本の脅威」となっています。

 一旦争いが勃発すれば、テロ行為、ミサイル攻撃で、原子力発電所が、脅迫や攻撃目標にされるのは明白です。

 現に、ウクライナにあるヨーロッパ最大の原子力発電所は、ロシアがウクライナに侵攻に際して、原子力発電所を、ウクライナに対する脅迫と攻撃目標にしているではありませんか。

 原発周辺「ホットポイント」してしまえば、300万人が避難しなければならなかった「福島の悲劇」繰り返すことになるでしょう

 もう二度と「原発事故」を起こしてはならないのです。原子力エネルギー頼ってはならないのです。

 放射能除去装置AIによる機器等の発明により、「原発事故」に100%対応できる対策が、完全確立しない限りグリーンエネルギーとして、原子力エネルギーを選択するべきではないのです。

 最近、「事故を起こしても、対処し易い、小規模の原発」が話題になっていますが、向こう30年、即ち、2050年までの実用化は、ほとんど不可能な様です。

 仮に実用化できても原発採用当時からの基本問題であった、核のゴミ高レベル放射性廃棄物の処理問題」について、日本も他の先進国諸国も、解決策は未だ発見できずにいるのです。

 人類は、「高レベル放射性廃棄物」処理法生み出す前に「原子力発電」を選択してしまったのです。

 人類「原子力エネルギー」を選択してしまったのは「ゲーテの戯曲に出て来るファウスト博士の選択」同じ選択をしてしまいました。

 即ち、「ファウスト博士は、永遠の若さを手に入れるために、悪魔、メフィストに魂を売り渡してしまいます。人類無限のエネルギーを手にいれるために、地球を永遠に汚染してしまう悪魔の誘惑に負けてしまったのです。」

 今回の日本の「脱炭素エネルギー政策」の陰に、ファウスト博士の亡霊のような、原発の誘惑に負けてしまった学者たち企業見え隠れしています。

 「原発」を忖度するような政策には、私達国民は「NO」と言わねばなりません

 私は、日本政府のエネルギー政策の見直しを切望いたします。

 では、どのようなエネルギー政策が、日本にとって、良いのでしょうか

 私の意見は、「上記で述べましたように、日本は、火山の大爆発等により、温暖化が寒冷化に激変する可能性のある国です。確かに2050年までの30年間は、「地球温暖化による環境危機」備えるあらゆる努力必要です

 しかし、原子力エネルギーを使う事は、さら地球環境を悪化させることにしか繋がりません。

 しかも、百年、2百年単位で地球環境考えるなら「地球は、ゆっくりと、氷河期に向かい、寒冷化に進んで行きます。」

 さらに、日本では、2050年まででも、火山の大爆発により「日本は、寒冷化に変化してしまう可能性」さえあります。

 従って、温室効果ガスをゼロにするために、炭素エネルギーを「0」にするというのは、得策ではありません

 日本のエネルギー政策は、「水力・太陽光・風力・地熱等の安全エネルギー主軸に据え不足する電力は、発生した二酸化炭素を、外界に放出することなく再利用できる「炭素エネルギーの最新技術」を開発して行くのが、より良い選択です

 たとえ、日本が、脱炭素をして、温室効果ガスを0%できたとしても、大国、「中国」・「アメリカ合衆国」どちらかが、「温室効果ガス0%実施する」のを中止すれば、日本の努力は、地球に何の良効果も与えることも出来ずに、無駄になります

 特に、暴走する中国共産党が、「温室効果ガス0%」よりも、自国の利益だけの為「炭素エネルギーを復活させる可能性は非常に高い」と思われます。

 その場合、開発途上国も中国に習い、火力発電を主力していくでしょう。中国は、温室効果ガスを依然出す低次元の技術をプラント輸出さえするかもしれません。

 日本は、「炭素エネルギーが復活する未来の世界状況」見据えて「発生する二酸化炭素を、外界に出すことなく再利用できる技術」に取り組んで行くべきなのです。

 少なくとも、日本の技術力なら、「中国より、環境により優しい技術開発を完成させる」ことは、絶対に可能なはずです。

 この技術を世界にプラント輸出するならば、日本の為にも、世界環境にとっても、最も素晴らしいエネルギー政策となります。

 ロシアのウクライナ侵略の為、天然ガスが手に入りにくい現状ですが、人類の為、決して、足りない電力を原子力エネルギーで賄ってはならないのです。

 政治家の皆様ファウスト博士の亡霊のような、「原発を推進したい」という誘惑に負けた学者たちや企業に耳を貸してはいけません

 人類のために、日本の政治家の方々が、エネルギー問題について英断を下していただけることを切に望みます

 

 

 

いじめの無い学校は良い学校 ?

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          濁流から立ち直る加茂川 京 都 

このブログは2020年9月16日に発表したものです。

 私が、生活指導主任であった頃、よく保護者の方々から、次のような質問をよくされたものでした。「お宅の学校には、いじめは無いでしょうね。」この質問の裏側の意味は、いじめがない学校が良い学校である。」という意味があります。本当にそうでしょうか。私はこれがきな誤解だと思っています。

 全ての人間は、キリスト教で言うところの「原罪」仏教で言うところの「業」を持っています。人間の集まる所には、必ず争いが起き、「嫌がらせ行為」や「いじめ」少なからずどこにでも存在するものです。学校も人の集まる所です。

 「いじめ」が無いと答える学校には、2つのタイプがあります。一つは、「生徒に無関心なため、あるいは、責任逃れのために、いじめは無い」と主張する学校です。このような学校は、生徒を自殺まで追い込んでしまう可能性のある恐ろしい学校です。

 もう一つタイプの学校は、「規則で生徒を雁字搦めに縛り、学校を無菌状態の温室にしてしまっている学校です。」こんなタイプの学校を卒業しても、マニュアル通りにしか動けない人間になり、社会に出た時に、人間関係を上手くやっていけない人に成ってしまうだけです。

 社会にでれば、必ず、仕事をする「集団」に所属しなければなりません。集団には、必ず自分が苦手な先輩が居たり、主義主張が合わない同僚が居たり、自分に攻撃的な人が居たりするものです。

 学校時代では、「あの人嫌い。だから話さない。」とか「あの人が居るからクラブやめる」とか可能ですが、社会に出てこのような考え方は通用しないばかりか、生きて行けません

 本当の良い学校は、

 生徒に人間関係を学ばせ、「いじめる生徒」と「いじめられる生徒」双方をサポート・フィードバックし、人間として「正しいこと」を教えてくれる学校が「真の学校」です

 子供は、「いじめる側」に居ても、「いじめられる側」に居てもかまわないのです。そこから、子供たちは「失敗を繰り返して、人との付き合う技術を学ぶ」のです。技術を習得するには、失敗がつきものです。それどころか、失敗しなければ、技術の習得はあり得ません

いじめについて少し説明しましょう。

 例えば、今、クラスの中に、太郎君、二郎君、三郎君、四郎君仲良し4人グループが存在したとします。

 その中で、太郎君は、ユニークですが、少しわがままな所がありました。後の3人が、それぞれ、「あなたのわがまま直した方がいいよ。直るまで俺たちのグループには来るなよな。」太郎君は3人から村八分にされました。

 太郎君精神的打撃を受けて、次の日から学校に行けなくなりました。いわゆる「登校拒否」です。

 これは、いじめの事例になります。他の3人にどれだけ正しい言い分があっても太郎君が「いじめ」だと感じれば、それは「いじめ」なのです。

 さて、太郎君の保護者には、これが「いじめ」だと理解するのは、さほど、難しくはありません。

 問題は、他の3人の保護者です。現代の保護者の多くは、「息子たちは、太郎君の悪いところを糺そうとしただけです。」と100パーセント自分の息子の正当性支持し、3人を指導した場合学校へ怒鳴り込んで来られることが多々あります。

 現代の親たちは、自分の子どの言うことを100パーセント信じて、学校と対決姿勢を直ぐに取られます。

 は、教師親からまず信頼されていて教育に専念することができました。

「先生」という称号が与えられるほど、日本に於いて、教師は社会的地位が高い、尊敬される職業でした。

 しかし、現在は、親からも、社会からも信頼を失っているようです。

 この事は、社会、保護者、教師の三者のいずれにとっても残念なことです。

 しかし、一番残念なことは、「子供たちの成長」が阻まれることです。

 先ほどの4人の生徒たちをに説明します。

 子供というのは、自分の身を守るために、うそをつくとは言わないまでも、事実を自分に都合の良いように誇張します。

 そして、保護者当然100パーセント自分の子供の言い分をそれぞれ信じ保護者も相手の保護者といがみ合います。

子供も親も関係が悪い方向こじれるだけで、子供の成長はとても見込めません


解決策

 子供というのは、「自分の身を守るために事実を誇張するものだ」ということを親は理解していなければなりません

 「子供の説明に100パーセント正しいということはない」ということを頭に入れておく必要があるのです。

 勿論自分の子供の言うことを理解しようとする姿勢は絶対に必要です

 しかし子供の言うことは、全部正しいとは、限らないので、

まずは教師を信頼して、担任・生活指導主任に相談・事実把握をしてから行動するべきです。

 先ほども述べましたように、子供のすることに、すべてが正しいということはあり得ません。4人の間に「いじめ」と判定される事件が起きた背景には、それぞれの生徒に良い所、悪い所があるはずです

 良い所は保護者が褒めたり、慰めてあげればよいのですが、悪い所・失敗したところは、師と連携て、それぞれの親がそれぞれの子供に指摘し、子供に理解させねばなりません

 これができなければ、子供たちが失敗を将来の人生に役立てることはできません。

 担任は、和解の儀式を4人のためにしてあげた後、村八分にされた太郎君には、他のグループの友達を見つけてあげるか、信頼できる他の生徒を友人として見つけてあげればよいのです。

 和解の儀式の時点で、4人の子供たちの中に、不服があるものが居たとしてもが生徒たちを癒してくれます

子供というものは、直ぐに体も心も成長し、大人の裁定を理解します。

 私の経験では、「雨降って地固まる」の諺通り4人の子供たちは、成長してから、親友に戻る可能性が高いのです。


教師の皆さんへ、

 人間関係が拗れて事件が何か起きた場合双方に至らない点があるから事件は発生します。その点をそれぞれの生徒・保護者に説明してあげるのが任の役目です。

 事件が発覚すれば、まず、迅速に情報収集です。

 正確に把握するためには、関係者だけでなく、周りの生徒たちから、情報を得なければなりません。

 その時に必要なのは、「日常の人間関係の構築」と「信頼」です。「信頼」は情報を明かしてくれた生徒の人権を守るために、「秘密厳守」が必要になります。明かしてくれた生徒が誰なのか、関係者全員に分からないように、ダミーの情報確保しなければなりません。

 「仲直りの儀式」重要です。たとえ、その時点で裁定に不服な者がいたとしても、「時」とそれに伴う「子供の成長」がいつか将来、大人の裁定の正しさ子供に理解させるでしょう。

 最後に私が4月の新クラスで全員のクラスの生徒に公言して、注意していたことを紹介いたします。

人間には、相性もありますし、好き嫌いもあります。これはどうしようもないものです。ですから、クラスにこれだけの生徒が居れば、中には、苦手な人が居ますし、相性の合わない人も必ず存在します

 しかし、あなた方は1年間、クラスメイトとして、みんなで力を合わせて仕事をしていかなければなりません。

 ここで、担任からひとつだけお願いです。自分の苦手な人と親友になれとは言いません

 けれども、一緒に仕事ができる人間関係を保つために、自分が嫌っているということを、相手に悟らせない「社交的な関係」保てるように生活をしてください

 それが大人の付き合い方です。

 相手が嫌いだと言ってしやべらない、嫌がらせをするのは、子供・ガキのすることです。

 この事さえ、1年間守ってくれれば、貴方が一生懸命にやったことで、どんな失敗をしても、担任はあなたをサポートします。」

 若い先生方に参考になれば幸いです。